[1472] 椿八幡宮(つばきはちまんぐう)
神社№  1472
神社名  椿八幡宮(つばきはちまんぐう)
神社別名  
参拝日  2019/06/05
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  品陀別命、息長足姫命、武内宿禰命
由緒等  
椿八幡宮由来の記

御祭神
・品陀別命(第十五代応神天皇)
・息長足姫命(神功皇后・応神天皇御生母)
・武内宿祢命(神功皇后付き人)

神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起こったといわれています。
当社は、八九七年(寛平九年)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。これが「椿八幡宮」の起こりです。
その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛期には穂波時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。

飯塚市教育委員会
ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0084
所在地  飯塚市椿352
地図座標 33.618067,130.661288
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 椿八幡宮 [A00-0360]
【所在地】 嘉穂郡穂波村大字椿字屋敷
【祭神】 品陀別命、武内宿禰命、埴安神、息長足姫命、足仲彦天皇、保食神
【由緒】 神功皇后三韓より帰朝の道穂波の郡に出で穂波村杉山の行宮小堅木の鍔を納め末の世まで敵国降伏の祈願ありし処則今椿宮なり斎明天皇筑前国下座郡朝倉の黒木に在りて新羅を救ひ給ふに年を経れども不治此時堅木の宝殿に異国降伏の祈願と奉幣あり程無く太平に治りたると言ふ其後蒙古之乱治りて土地を寄附せらる天平勝宝三年此は豊前国宇佐の領地にて宇佐神宮より秋之大夫と言う人を代官として穂波椿庄四十八ヶ村をつかさどらしむ其子助之大夫と言ふ人事祭典を受持後世安芸大夫助之大夫夫妻を木像に刻み祭る則鳥居の側にあり秋殿神社是なり此人宇佐八幡宮を鎮座す又延喜式の主計の式に筑前国穂波海石榴榴の海油一斛四斗六升四合奉るとあり其比は社領神田数十町ありしと言ふ往古神嘗祭の神幸あり神輿を休めし浮殿森とて社より五町ばかり辰巳に当りて森あり天正十年社殿神官の家不残兵火の為に焼失す其後太閤秀吉九州征伐の時社領神田残りなく没収す其後産子の者小社を建祭りたる文禄三年甲午歳国主小早川左衛門佐隆景再興すと古き棟札に残れり。
明治五年十一月三日村社に被定
埴安神は同大字に天神社として又保食神は同大字に五穀神社として祭祀ありしを明治四十一年三月七日合併許可
【例祭日】 四月十日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十一年三月二十一日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所、手水舎
【境内坪数】 千二百十五坪
【氏子区域及戸数】 穂波村大字、椿、安恒、太郎丸、太郎丸二区、楽市、秋松堀池、若菜、貝原、小正、弁分以上十一区 戸数千戸
【境内神社】 安芸殿神社(秀村安芸太夫、同助之大夫夫婦の四像)、産守神社(鵜茅葺不合命、木花咲耶姫命、生産霊命)、天神社(菅原神)
【摂社】 秋松天満宮、堀池貴船神社、小正田神社、安恒天神社、弁分須佐神社
【末社】 楽市天満神社、若菜天満神社、貝原龍王神社
コメント  
公開日  2019/11/17
更新日  2019/11/17
参詣道鳥居
参詣道鳥居扁額
穂波新宮
旧参道碑
参詣道鳥居背面
境外神社、安芸殿社
境外神社、安芸殿社
境外神社、安芸殿社
参詣道注連掛石
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
二の鳥居
二の鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
境内前風景
三の鳥居
三の鳥居扁額
手水舎
注連掛石
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
お潮井台
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
神馬
拝殿神額
拝殿内
拝殿神額
拝殿内
由緒書き
社殿全景
社殿全景
本殿
本殿
社殿背景
記念碑
境内神社(不詳)
境内神社(不詳)
石神
境内神社、八幡稲荷宮
境内神社、八幡稲荷宮
社務所
穂波四国霊場第三十八番札所
弥勒堂
弥勒菩薩
弥勒堂説明板
地蔵堂
 
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