[1492] 老松神社(おいまつじんじゃ)
神社№  1492
神社名  老松神社(おいまつじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2019/11/23
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  菅原道真公
由緒等  
老松神社由緒畧記

御祭神 管原道真公
祭日 九月二十五日

往古より長尾は太宰府官人上下往来の官道をして栄えた里である。天平三年(約一二三九年前)秋、行基筑紫行脚の折、高祖明神を拝せられ、大神託して曰く、我天神七代国土万物の祖神なり。和銅年中(約一二六〇年前)越前国に天降り白山権現を影向す。神亀五年(約一二四一年前)若杉の峰に分影するも若杉は山間避遠の地、老物の参詣に不便然るに長尾は官道に沿える里、この地に住むことを欲すと行基自ら尺三四寸ばかりの男女二神(伊邪那岐、伊邪那美の神)の神像を刻し奉安す。これが当社の起因である。
降って治安年間(約九五〇年前)太宰府神領となり管原道真公を勧請し、長元六年(約九三七年前)老松宮を改称し管原道真を主祭神とするようになった。戦国のころ社殿を焼失、天正六年(三九一年前)再建する。
当社宮座は治安年間より続けられている、当社は一千年の昔から太宰府天満宮の分社として天下和楽を求むる人々の信仰をあつめてきた社である。

(神社明細帳より)
ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0701
所在地  飯塚市長尾1682付近
地図座標 33.571861,130.648613
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 老松神社 [A00-0347]
【所在地】 嘉穂郡上穂波村大字長尾字谷
【祭神】 菅原神
【由緒】 社伝に当所の産神は往古より貴船神社なりしが、治安三年に大宰府天満宮神領となりしに依り領地守護のための天満宮を貴船神社の社地に勧請し老松宮と称せり(年代不詳)後当社は現今の地に移し産神とし貴船神社は附属神社となりしと言う附記当所は延喜式に載せられたる長岡駅なり天正六年に造営の棟札ありしが今紛失してなし仍て太宰管内志に載せたるを左に記す大宮司秀村佐渡守豊盛大工藤原佐藤新兵衛家定寔天正六年戌八月二十二日(筑前国続風土記拾遺にも棟札のことは記載せり)元禄六年石鳥居建設す銘に郡司泉與左衛門義全監察之産子中元禄六年八月吉旦
延享五年拝殿再建棟札に奉再建老松大明神拝殿一宇産子延命云々延享五戌辰年夏五月吉祥日当社宮座事治安三年老松宮勧請当時より執行せりと言ふも別に文書なし宮座記に
杉殿(杉殿とは鞍手郡龍徳の城主杉弘相なり文明年中宗祇筑紫紀行に依り杉氏が当地を支配したる事を證せらる)時代より享保年間までのことを同年間に記すものあり其始に杉殿(小性)有坂団左衛門外五人、慶長七年宮座組孫次郎、喜六才五郎、吉作とし以下寛永二年、萬治三年、元禄六年、享保九年、二宮座組の変更を記す。
附記此宮座は従前の通り今尚現に執行せり、当社は明治御維新前は郡代役所の祈願所たり今祈雨祈時等に関する文書の存するもの三通あり。
又郡代役所より建設せられたる石燈籠一基を存す。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 九月二十五日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十四年十月二十四日
【主なる建造物】 本殿、弊殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 千八十七坪
【氏子区域及戸数】 百四十戸
【境内神社】 須佐神社(素盞嗚命、高龗神、闇龗神)
コメント  
公開日  2020/03/08
更新日  2020/03/08
戦役記念碑
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道階段
社号標
須賀神社鳥居
須賀神社鳥居扁額
境内神社(不詳)
注連掛石
猿田彦大神
参道風景
二の鳥居
二の鳥居扁額
社殿正面
お潮井台
水盤
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
由緒書き
拝殿内
拝殿神額
拝殿内
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
境内神社、須佐神社
須佐神社拝殿内
須佐神社拝殿神額
須佐神社本殿
境内神社(不詳)
境内神社(不詳)
合祀記念碑
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