[1515] 厳島神社(いつくしまじんじゃ)
神社№  1515
神社名  厳島神社(いつくしまじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2023/10/22
再訪日   
社格   県社
その他社格 
ご祭神  市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、狭野命、大山積命、保食命、倉稲魂命
由緒等  
厳島神社

御祭神 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
由緒
当社は日思山の山上に建立され、聖武天皇の御時(七二四年〜七四九年)御社の東に宮司の坊(浄福寺)を建立。以後延文年中(一三五六年〜一三六一年)まで筑前、豊前両国の衆民により祭られていた。しかし山上であるため参詣に不便なことから延文年中、本社三女神を筑前国鹿毛馬村へ遷し奉り天照皇大神を豊前国神崎村に遷し、共に両村の産土神として祟奉られる。その後山上の社殿は野火の為焼亡したがその礎石は今も現存している。
永世元年(一五〇四年)神殿並びに社屋を再建。(大願主清原兼通敬白の棟札有り)村人百六十六名と共に祭事を執り行っている。(文亀三年の宮座帳より)
明治三十二年(一八九九年)県社に昇格。嘉穂郡誌には「郡内唯一の県社にして社地は広大ならざるも、高燥にして清浄なり」と記されている。
昭和七年(一九三二年)神殿、弊殿、拝殿を再建し、現在に至る。

牧野神社(本社相殿)
御祭神 狭野命、保食命、大山積命、倉稲魂命
由緒
山麓の野に多くの馬が群れるのを以て牧を開き、その馬を献上していた。しかし毎日馬を使うことは荒ふる故に当郡中、全てに五月朔日より七日までの間、馬を使うことを禁止し、その間大祭を執り行っていた。
文暦年中(一二三四年)牧を廃し以後神社も荒廃するにしたがい元亀年中(一五七〇年〜一五七二年)本社の相殿に遷し奉る。

ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-1112
所在地  飯塚市鹿毛馬1083
地図座標 33.672884,130.734863
公式HP  https://itsukushima.org/
福岡県神社誌
【社名】 厳島神社 [A00-0323]
【所在地】 嘉穂郡頴田村大字鹿毛馬字宮
【祭神】 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、(牧野神社)狭野命、大山積命、保食命、倉稲魂命
【由緒】 創立年月不詳社記豊前国宇佐島より筑前国宗像郡沖津島に鎮座の時当村日尾山を越給ふ古実を以て景行天皇御宇三女神を祭り今に社殿神石柱石等残れり後光厳天皇延文年中(附記、後光厳天皇は所謂北朝の天皇なり又延文年中は所謂北朝の年代にて吉野朝の正平十一年より十五年に至る間なり)今の社地字宮に遷座産神と崇奉る。明治三十二年七月二十四日県社に列せらる。

(牧野神社)神武天皇御幼名狭野命と申奉る時筑紫を回り給ふとて豊前国より此村に移給ふ馬牧より足毛の馬を奉り其馬に乗せ給ひ嘉穂郡馬見村へ出給ふ迄老翁見送り奉るより当村駈馬村と唱ふ村称の起源也其時天皇宜命に依て郡中五月牛馬を田に仕役をなさざる日五日あり即ち朔日より五日迄牛馬忌み日と唱ふ元亀三年より明治二年迄五日を三日に縮む明治二年の時の郡令澄川春吉郎発言して牛馬を忌む事農事に支を以て三月一日より五日迄神祭執行して忌みを除く口実社記に詳なれども略す、今に牧跡大石を以て区域を残す顕然なり。
【例祭日】 九月九日、(牧野神社)三月一日より三日迄
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 神殿、弊殿、拝殿、社務所
【主なる宝物】 大乗妙典一部、手力雄額面
【境内坪数】 五百九十二坪
【氏子区域及戸数】 一百十戸、鹿毛島全区
【境内神社】 須賀社(素盞嗚命)、稲荷社(保食命)、徳満社(大巳貴命)
コメント  
公開日  2023/12/17
更新日  2023/12/17
神社全景
一の鳥居
一の鳥居扁額
二の鳥居
社号碑
由緒書き
由緒書き
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
手水舎
三の鳥居
四の鳥居
伊勢参宮記念碑
石碑
石碑
参道階段
注連掛石
社殿正面
お潮井台
社殿全景
社殿全景
本殿
境内神社、徳満宮
境内神社、徳満宮全景
境内神社、徳満宮本殿
猿田彦大神
境内風景
鎮魂社
鎮魂社
祖霊社
   
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