【社名】 皇祖神社 [A00-0428]
【所在地】 飯塚市大字鯰田字峯
【祭神】 品陀和気命、玉依毘売命、息長足姫命
【由緒】 創立年代詳ならず旧神職有光家の旧録に依れば其祖先は長州二の宮大宮司有光越後守時国の次男午之輔時安故ありて当村に移住し村民に神道のことを勧めしが里人の尊敬を受け後遂に所の祠官となる依て村民に氏神勧請のことを勧め時安村民小鶴某と供に御笠郡宝満宮に詣て尊神を勧請し産土神とし奉れりと言ふ。社伝曰後奈良天皇享禄三庚寅社前に禅宗世尊寺を建立せしに神慮に協はず、十年余にして焼失せしかば里人再建したるに大蛇現はれ住めり里人之を恐れ産土の神に蛇の去らむことを祈りしに寺を神前に建つること神慮に逆らふとの霊告あり乃ち寺を村隅に移さむと誓を立てしかば程なく蛇去れりそれより其所を蛇牟田といふ牟田の上に簀子を渡して寺を移し寺号を改めて青雲寺といひ野村家の寺となれりかくて里人益々神慮を畏み寛永の頃迄は神幸等を為し奉り祭典も厳重なりしが天和の頃より衰へたり。当時の神幸所を妹殿と言ふ後に高木の神を勧請し神幸の例を以て年毎に八月朔日万年願と唱へ本社に於て大神楽を奏し奉る云々。
寛永十五年社殿再建。
天和二年神殿拝殿共に焼失同時に棟札縁起とも焼失と言ふ。
元禄十三庚辰社殿再建。
享保十三年左大臣基凞の書せられたる宝満宮の額面を奉納す(此額字御笠郡宝満宮(現今官幣小社竈門神社也)にあり本社は同宮の御分霊なれば写を申受たるなるべしと言ふも今記録の存するものなし。
延享二年地頭野村隼人(旧福岡藩士にして地行七千石)当社を尊信し御供米として毎年一俵二斗一升八合を神納し且神田六畝二十六歩を寄せらる(此田地は今神社名義となり現存す)。嘉永二己酉年不浄の事あり拝殿を取毀つ明治二年許可を得て皇祖神社と改称す同時旧藩主黒田長知公皇祖神社の額字を書して奉納せらる蓋し野村家の地行村たりし縁故に依る。
昭和十二年二月二十四日改築起工。
昭和十三年五月十三日竣工。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 四月十五日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十二年四月十九日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、神饌所、倉庫、籠殿、御手洗所
【主なる宝物】 宝満宮神額一面、皇祖神社神額一面、刀二口、掛聯一対、社記古文書記録集、萬㕝日記、木造狗犬一個、面五個
【境内坪数】 三百四十二坪
【氏子区域及戸数】 区域鯰田区一円、戸数約七百二十戸
【境内神社】 磐屋神社(大名牟遅命、少彦名命)、志賀神社(綿津見三柱神)、金刀毘羅神社(大国主神、崇徳天皇)、須賀神社(須佐之男命、稲田比売命、事効主神)、天満神社(菅原神)、山神社(大山祇神)、貴船神社(高雄神闇雄神)、庚申神社(猿田彦神)、貴船神社(高雄神、闇雄神)
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