[1558] 老松神社(おいまつじんじゃ)
神社№  1558
神社名  老松神社(おいまつじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2020/10/03
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  菅原神、素盞嗚命、罔象女神
由緒等  
老松神社 社伝

筑前穂波郡徳前村宮之上神に三座在り、中殿に菅原道真、左殿に素佐之男尊、右殿に岡象女命を奉る。
社伝に曰く、中殿菅原道真は後世此の村、太宰府菅廟神領の時、老松明神として祭られ、左殿素佐之男大神は徳前古来の産土神、右殿岡象女命は此の土地の地形、沼川にして、しばしば水害に罹り民の苦しみ著しく、この大神を祭り、永く其の神恩を仰ぎたるによる。旧記に曰く、天平十二年庚辰亥十月(西暦七三一年聖武天皇の代、一二四〇年前)太宰小弐広嗣反し、自ら熊襲の軍の師となり太宰府を発し此の街道に達したとき乗馬驚きて、広嗣落つ、広嗣大いに怒りて驚馬用いるに耐へずとして、他の馬に乗り替へた前の馬転び、此の徳前村に来たりて頻りに嘶いて、暗に救を求むるの状あり。時に白髪の仙翁来たりて曰く、汝見づや此の馬の鞍上に、黄金の神像有るを、即ち王城の守護神祇園牛頭天王也、広嗣今に敗死するであらうと告げ、仙翁は立去った。人々奇異の思を成し鞍上を見るに、果して神像有り。金光赫々として日暉に映へ、眼を射り、人々は仰ぎ見る能わず唯衆〼交々地に伏して拝す。其の神体を降し奉りたるに茲に其の馬悲鳴一声、宙に飛び去る。其の後忽にして広嗣誅せられしを聞く村民いよいよ奇異の思いをなし相議りて神馬の来たり、仙翁出現の処に神祠を造営し奉安せり、金像のこと忽ち世間に伝わり、太宰官人往来の途上、且つ勇将猛卒必ず歩を枉げて参拝し、武運を祈る者、枚挙に遑あらず。就中、天慶三年(西暦九四一年朱雀天皇の代一〇四〇年前)純友の反乱の時、源満仲詣でて精誠を致し神馬甲冑を献じ擁護を祈られた。当時神納の宝器願文、名将勇卒の納品永く社殿に蔵し珍重致されしところ応永の乱、天正の変に或は焼かれ、或は奪われ遺すところなし。天和元年(西暦一六八一年零元天皇の代三〇〇年前)御内陣玉体室改造御遷座の際、旧託を拝し恐々写す。
更に大正八年、不明の火災により本殿を焼失したるに、村民直に神殿、拝殿を建立し、祭祀を全うせり。

昭和五十四年十月十四日 建立

老松神社 社伝

徳前村(現飯塚市徳前)の老松神社に三つの神様がまつってあります。中殿に菅原道真、左殿にスサノオノミコト、天照大神の弟でヤマタノオロチを退治した神様、右殿にミズハメノミコト(水の神様)がまつってあります。
社伝にいわく、中殿の菅原道真公は後世(のちの世に)この村(徳前村)が太宰府神社の管理領地の時、老松明神として祭られ、左殿の素佐之男大神は徳前の産土神地域の古来から鎮守様、右殿の岡象女命は、この土地の地形や沼、川の状況からしばしば水害にあい地域の人々の苦しみは著しく、この水神様を祭り、神さまの恩恵受けるようにお願いした。
古い記録(古事記等)よると天平十二年庚辰十月(西暦七百三十一年聖武天皇の代、千二百四十年前)太宰小弐の階級(実質的に当時の太宰府の最高管理者)である藤原広嗣が反乱をし、みずから熊襲の師(軍のかしら)となって太宰府を出発しこの街道に達したとき、乗っていた馬が驚いて広嗣は落馬し怒って驚馬(足を蹴り上げて暴れているような馬)用いるに耐えずと他の馬に乗りかえた。前の馬(乗り替える前の)転んで徳前村に来て頻りに嘶いて暗に救いを求めている様子だった。この時、白髪の仙翁(神通力の有るような老人)が来られて、「あなたは、この馬の鞍の上に黄金の神の像が見えないか」「言い換えれば、王城の守護神祇園牛頭天皇(釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守り神で薬師如来の化身でスサノオのミコト)」である。「広嗣は今に負けて死ぬだろう」と告げ仙翁は立ち去った。人々は不思議な思いで鞍の上を見ると本当に神の像があり金色にあかあかと眩しく照り輝き、それは目が痛いほどで見ることが出来なかった。その場に集っていた人々は、こもごも【かわるがわる】地に伏して拝んでいた。
その神様の像を鞍から礼を尽くして降ろしたところ、その馬は悲鳴一声、宙【そら】に飛び去った。その後忽ち広嗣は責め殺されたと聞き村民はいよいよ不思議な思いをし相議りて(相談して)新馬が来て仙翁が現れた場所に神祠(神様を祭るやしろ)を造り安置した。
金色の像のことは、たちまち世間に伝わり太宰府の務める役人の往来の途中、勇将猛卒(武勇に優れた兵士)は必ず歩を枉げて(遠回りになっても)お参りして武運を祈る者が枚挙に遑なし(数が多すぎてきりがなかった)。
就中(特に)天慶三年(西暦九四一年朱雀天皇の代一〇四〇年前)純友(藤原純友)反乱の時、源満仲が詣でて精誠を致し(真心尽くして)神馬(神様が乗る馬)甲冑をささげて神様の擁護を祈られた。当時神様に納めた宝や願い文、名高い武将の献上品は永く社殿に珍しいものとして大切に保管されていたが、応永の乱(西暦一三九九年)天正壬午の変(西暦一五八二年)の時に、焼かれたり奪われでなくなってしまった。
天和元年(西暦一六八一年零元天皇の代三〇〇年前)御内陣玉体(神社一番奥のご神体の居られる部屋)を改造しご神体の場所をかえる際旧託(前の神のお告げ)を恐恐写した。
更に、大正八年(西暦一九一九年)不明の火災で本殿を焼失してしまったが村民はただちに、神殿、拝殿を建立し祭祀(神様を祭ること)を全うした。
ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0032
所在地  飯塚市東徳前18
地図座標 33.635144,130.679505
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 老松神社 [A00-0434]
【所在地】 飯塚市大字徳前字宮ノ上
【祭神】 菅原神、素盞嗚命、罔象女神
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に被定。
社伝に曰く、筑之前州穂波郡徳前村在宮之上神三座者中殿菅公左殿須佐之男尊右殿罔象女命他伝云是中殿菅公者後世此村為太宰府菅廟神領之時奉合祭而称申老松明神者也左殿須佐之男大神当村古来之産霊而右殿罔象女命者以地形沼川岸屢罹水害故素尊愍悠民苦而祝祭此大神而永迎其神徳也被田託矣以下略。
【例祭日】 四月二十五日
【神饌幣帛料供進指定】 大正九年二月二十六日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、絵馬殿、社務所、倉庫
【境内坪数】 四百十一坪
【氏子区域及戸数】 区域徳前 戸数七百戸
【境内神社】 貴船神社(高龗神、大日孁貴神)、恵比須神社(事代主命)
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公開日  2020/11/08
更新日  2020/11/08
神社入口風景
社号標
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道風景
二の鳥居
二の鳥居扁額
手水舎
猿田彦大神
注連掛石
絵馬殿?
由緒書き
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
社殿全景
社殿全景
社殿背景
境内神社(不詳)
倉庫
   
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