【社名】 白山神社 [A00-0433]
【所在地】 飯塚市大字上三緒字馬場
【祭神】 伊邪那岐命、伊邪那美命
【由緒】 社伝に御勧請年月詳ならず天正十四年秋月種実祠再興文禄四年乙未ニ月小早川筑前宰相拝殿を造営せらる棟札に謹奉新造白山宮拝殿棟上一宇云々国主小早川筑前宰相本願主云々とあり。
貞享四年直方領主黒田長清水田二段歩寄附あり其文書に嘉穂郡上三緒村産神白山権現の社者天正年中秋月氏造立あり爾後直方府君黒田長清公御領地と成貞享四年御社之側成池を埋め田となし一作田二段年貢米八斗七升四合云々直に社へ御寄附被成候旨郡史中村源蔵於社頭申渡云々とあり。元禄十二年巳卯五月十九日黒田長清神殿造営あり棟札に嘉穂郡上三緒村白山権現之神社一宇云々於是郡司中村源蔵令里民等以神田之所納経営神殿荘飾新成焉云々とあり元禄十五年壬午六月黒田長清拝殿造営あり棟札に筑紫嘉穂郡上三緒村白山神社前殿一宇云々今年村民等有信而不止之誠以其余料相継而前殿又成云々とあり。宝暦七年八月笠原四郎左エ門森源太夫社地に杉苗千五百本を寄進す。天保三年壬辰九月上座下座嘉麻穂波郡代役所の補助に依り拝殿を再建す棟札に奉再造筑前国嘉穂郡上三緒村白山神社拝殿一宇云々郡代岸原七太夫良直同助役国吉仁兵衛久保云々当社神殿拝殿令破壊依之産子等戳力云々請借郡庁之儲銀弁済其不足郡庁許可之且令役丁許多助成之云々とあり。慶応二年七月神殿を再建す。
明治六年十一月三日村社に定めらる。明治三十三年三月三十日神殿焼失明治三十四年十二月二十三日神殿再建の許可を受け再建す。
【特殊祭事】 旧暦七月七日、当社夏祭にして鎮火祭及安産守護、武運長久、商業隆栄、五穀豊穣祈願祭典あり。当神社境内一面に種々の型を作り、古式に習ひ青年団の奉仕に依り、土皿に種油にて千燈明を献ず。其燈火の実況は実に美麗なり。又大相撲を催す、此相撲は往古は筑前豊前と分れ大庄屋の軍配にて行はれたり。嘉麻穂波郡内相撲の始めと云ふ。
【例祭日】 十月十八日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十二年十月十四日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、社務所
【主なる宝物】 延享四年郡吏内野太郎左衛門文書一巻、棟札写
【境内坪数】 千八百坪
【氏子区域及戸数】 区域上三緒区 戸数二百五十戸
【境内神社】 天照皇大神宮(天照皇大神)、志賀神社(海津美大神)、須賀神社(須佐大神)、貴船神社(天象女神)、岩屋神社(手力男大神)
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