[1585] 六所宮(ろくしょぐう)
神社№  1585
神社名  六所宮(ろくしょぐう)
神社別名  
参拝日  2011/11/05
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  八幡大神、国常立尊、大物主神、豊国主命、宇賀姫尊、菊理姫命
由緒等  
六所神社(旧村社)舎利蔵

祭神 八幡大神 国常立尊 大物主神 豊国主命 宇賀姫尊 菊理姫命

由緒 社伝によりますと、八〇三年(延暦二三)年、最澄が仏法を求めて唐に渡る時に、竈門山宝満宮に航海の無事を祈りましたが、そのおり神のお告げをえて、この地においても同じ祈願をしました。そのお礼として帰朝してから神祠を建てることを誓ったのです。この時肥後八代の舎利尼がこの志を継がんことを願いましたので、最澄は喜んで任せました。舎利尼は村人と話し合って祠を山腹に建て梵室を傍に構えて誦経奉仕をしたのです。これが山王七社大権現及舎利蔵寺の始めといわれています。一四六九~八七(文明年間)年に、六座をこの地に遷して、六所権現と称するようになりました。一座は属村本谷に遷して、各産土神にしたといわれています。

境内神社 須佐神社-祭神 素盞嗚命、天神社-祭神 保食神

飯塚市教育委員会

六所神社由緒畧記

祭神 八幡大神 国常立尊 大物主神 豊斟渟命 宇賀姫命 菊理姫命
祭日 四月十七日 例祭 九月三十五日

延暦二十三年(約一一六五年前)遣唐請益僧最澄入唐求法の際無事を宝満宮に祈る時に擁護をたれ給ふべき神託を得て肝銘し帰朝の日神祠創立せん事を誓う。此の時に当りて肥後八代の舎利尼来て最澄に謁し神祠創立の継がんことを請ふ。最澄喜んで之を托す。舎利尼即ち村民と議し近郷を勧化し神祠を山腹に立て梵室をその傍に構へて誦経奉仕す。これすなわち山王七社大権現及び舎利蔵寺のおこりなり。文明四年(約四九七年前)六座をここに遷し六所権現と称し一座を本谷に遷し各々産土神とせり。以後旧社を龍王宮と称し明和九年(約一九三年前)に在祠とす。現今も旱魃の折雨乞祈願を行う慣例あり。

境内神社一社 須佐神社 祭神 素盞嗚命 例年 六月十五日
(神社明細帳より)
ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0087
所在地  飯塚市舎利蔵663付近
地図座標 33.611843,130.630311
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 六所神社 [A00-0353]
【所在地】 嘉穂郡大分村大字舎利蔵字梅ヶ谷
【祭神】 八幡大神、国常立尊、大物主神、豊国主尊、宇賀姫尊、菊理姫命
【由緒】 社伝鎮祭由来、観世音菩薩蓮華座(此観世音菩薩は本社の境内にありしも神仏分離の際大字舎利蔵字平原七百八十八番地に移転せり)銘に延暦二十三年遣唐益僧最澄入唐求法の時無事を竈門山宝満宮に祈れり。
時に神託を得て此地に来り又求法の無事を祈る時に擁護を垂れ給ふべき神託を得て肝銘し帰朝の日神祠創立せん事を誓ふ此時に方て肥後八代の舎利尼来て最澄に謁し神祠創立の志を継がん事を請ふ最澄喜んで之を托す舎利尼即ち村民と議し近郷を勧化し神祠を山腹に立て梵室を其傍に構へて誦経奉仕す此即山王七社大権現及舎利蔵寺の濫觴也と言ふ。(原文は長文に付其要領を摘記す)
文明年間(或は曰ふ文明四年九月)山王七社の内六座を此地に遷し六所権現と称し一座を〼村本谷に遷し産土神とせりと言ふ然れども旧社地には小祠を建て上宮と称し祭祀せり(何れの時代よりか之を龍王宮と称し来れり)附記上宮は其後明和九年に石祠とす山下の村々即伊川花瀬、蓮基寺、建花寺、大日寺、八木山、明星寺、潤野各村の庄屋中より建設する所なり之に徴するに従前は前記の各村より祭祀せし縁に依る歟
貞享二年神殿再建棟札に奉再建山王権現宝殿一宇天下泰平云々(中略)本願主当村之住川部源四郎貞享第二乙丑暦菊月大吉日云々とあり。
安永十年の舎利蔵村軸帳に記する祭典の事左の如し、一升五合村中祈祷入目、三斗二季牛馬祈祷入目、一斗龍王祭入目、二斗風止虫祭入目、二斗九升神事神楽社人賄とあり。
附記此祭典は従前の通り現今も尚執行せり。明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 九月二十五日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十二年十月十四日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿
【境内坪数】 四百八十六坪
【氏子区域及戸数】 三十七戸
【末社】 須佐神社(素盞嗚命)
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公開日  2021/12/26
更新日  2021/12/26
神社入口風景
鳥居
鳥居扁額
社号標
日露戦役紀年碑
境内風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
水盤
由緒書き
社殿正面
拝殿内
拝殿神額
由緒書き
拝殿内
拝殿内
社殿全景
本殿
本殿
社殿背景
五穀神
庚申尊天
境内神社、須佐宮正面
須佐宮鳥居
須佐宮鳥居扁額
猿田彦大神
須佐宮社殿
須佐宮拝殿内
須佐宮本殿
須佐宮本殿
境内神社(不詳)
 
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