[1648] 土居老松神社(どいおいまつじんじゃ)
神社№  1648
神社名  土居老松神社(どいおいまつじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2024/05/18
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  大国主神、大物主神、事代主神、菅原神、吉祥女
由緒等  
村社 老松神社 土居字丁字丸

祭神 大国主神、大物主神、事代主神、菅原神、吉祥女
例祭日 十月二十四日(福岡県神社誌による)、九月二十四日(福岡県地理全誌)嘉穂郡神社明細帳
建造物 神殿 横五間 入三間、渡殿 横一間半 入三間、拝殿 横四間 入三間
境内面積 一、七五三坪
境内神社 須賀神社(素盞嗚尊、高龗神、闇龗神)、貴船神社(高龗神)、祇園神社(素盞嗚尊)、恵比須神社(事代主命)

由緒
当社はもと土師庄のうちであったが、一〇三九年(長暦三年)にわかれて土井庄となった。土井庄も大宰府天満宮の神領であったので、土師の老松大明神を勧請して、土井老松大明神と称して氏神とした。
一三三八年、(暦応元年)に大宰大監大蔵朝臣種貞が願主となり、原田次郎種実を奉行に任じて、社殿を再興した。下って、一五六二年(永禄五年)吉隈村の地頭門名左近鑑重が社殿を再築した。しかし一五八一年(天正九年)十一月の頃、立花城主戸次道雪、岩屋城主高橋紹運の連合軍が秋月種実の兵と戦火を交えたおりに本社は兵火にかかり、社殿などことごとく烏有に帰してしまった。一六一六年(元和二年)に至って花房志摩守正成が村民とはかって社殿を再興した。
本社は古来、武家の尊信が厚く、境内も広く、社殿も壮麗で、四季の祭典も厳重に行われたということである。
現在、本社の南方約百メートルの田の中に石が立っているが、昔神幸のあった時の頓宮の跡といわれている。
祭神事代主神は、無格社言効神社として祭られていたのを、明治四十四年八月二十四日、本社に合祀したものである。
境内神社の貴船神社は一七二四年(享保九年)頃には字浮殿に祭られていたが、明治二十四年に老松神社が建つと同時に移したものである。
神像は二〇糎位の木像が二体ある。

(桂川町誌 昭和四十二年発行)
(嘉穂郡誌 大正十三年初版 昭和六十一年復刻版)
ご朱印   
鎮座地区 嘉穂郡
郵便番号 820-0606
所在地  嘉穂郡桂川町土居601
地図座標 33.582133,130.676234
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 老松神社 [A00-0343]
【所在地】 嘉穂郡桂川村大字土居字丁字丸
【祭神】 大国主神、大物主神、事代主神、菅原神、吉祥女
【由緒】 不詳明治五年十一月三日村社に被定、社伝に言当地は元土師庄の内なりしも長暦三年中分れて土井庄と称せしかば同年土師庄より勧請して土井老松大明神と称し氏神とせり当神は太宰府天満宮の神領地也しが後原田氏の領地となり領主の尊信篤く暦慶元年(附記明細帳に暦慶とあるも暦慶と云う年号なし)原田種貞の時社殿再建あり(永禄五年社殿の頃は)門名氏の所領となり門名鑑重の時永禄五年社殿の再築ありしも天正年間兵火に罹りたるを元和二年に至り花房志摩守村民と謀り社殿を再建せり当社は古来武家の尊信篤かりければ社広く社殿も壮麗にして四季の祭典厳重に行はれしが今は田圃に浮殿等の名称残れり。
祭神事代主神は同大字々町に無格社言効神社として祭祀ありしを明治四十四年八月二十四日許可を得合祀祭神同一に付合霊す。
【例祭日】 十月二十四日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十一年四月二十日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 千七百五十三坪
【氏子区域及戸数】 百四十戸
【境内神社】 須賀神社(素盞嗚命、高雄命、龗雄命)
コメント  
公開日  2024/07/07
更新日  2024/07/07
神社入口前風景
社号標
由緒碑
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道階段
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
二の鳥居
二の鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
境内神社、恵比須神社
注連掛石
お潮井台、水盤
境内風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
拝殿内
拝殿内
拝殿内
社殿全景
本殿
本殿
     
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