[2090] 和布刈神社(めかりじんじゃ)
神社№  2090
神社名  和布刈神社(めかりじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2023/11/15
再訪日   
社格   県社
その他社格 
ご祭神   
由緒等  
ご朱印  
鎮座地区 北九州市門司区
郵便番号 801-0855
所在地  北九州市門司区門司3492
地図座標 33.960901,130.962321
公式HP  https://www.mekarijinja.com/
福岡県神社誌
【社名】 和布刈神社 [A00-1456]
【所在地】 門司市大字門司字速戸
【祭神】 豊玉毘売命、日子穂々手見命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、日子波瀲鵜草葺不合命、阿津美磯良神
【由緒】 創立仲哀天皇九年也、速戸祠以地名為祠号也、建武三年足利尊氏神殿造立応永年中大内義弘神殿造立文亀年中大内義隆神殿造立、天正三年仁保常陸介神殿造立、元和六年小倉城主細川越中守社領十石寄附、寛永五年細川越中守拝殿以下造立、昭和四年小倉城主小笠原忠總神殿造立、明治四年社領上地、明治六年七月九日県社に列せらる。
又社説に術ぶる所次の如し、人皇第十四代仲哀天皇熊襲御征討の思召を以て、長門の国豊浦の宮に車駕を進め給ひける時筑紫の熊鰐五十迹の二将軍、九尋の御座船に正装して迎へ奉り、八年正月二十一日橿日の宮(今の香椎宮)に着かせられ居します時に、神在りて皇后に神託あり誨て曰く天皇何そ熊襲の帰服せざることを憂ひ結ふ、彼が如きは兵を挙げて伐つにたらん哉是の国に勝りて宝の国海の対岸にあり、金銀財宝国内に充つ、是を新羅国と云ふ。若し能く吾を祭り給はば刃に不血塗して其国必ず服従せんと。天皇不信して九年二月突然病を得て崩御し給ふ。爰に於て皇后喪を秘し、武内宿祢に命じ穴門豊浦の宮に殯し給ふ。皇后神の誨を崇敬りて吉日を選び、親ら神主とならせられ、武内宿祢に命じ琴を撫しめ中臣烏賊津連を審神とし、千絵高絵を琴頭尾に置き、先に教を下し給へるは唯の神なるや希くは教を垂れ給へと祈り給ふ。七日七夜に逮んで神答て曰く、吾を神風の伊勢の国百伝ふ度会県折鈴五十鈴宮に居る神は撞賢木厳之御魂天疎向津比売命也と宣せ給ふ。亦問ふ此の神の外に神在すや、答て曰く日向国橘小門之水底に所居水葉椎之出居神名は表筒男中筒男底筒男の神の荒魂と答へ給ふ。随教に専軍卒を集へ、先年皇后角鹿より豊浦に参りたまふ時に、海中にて如意珠を得たまふて殊に悦せ給ふ。此に潮涸瓊潮満瓊の法を得たる神人あり、阿曇磯良と云ふ、常に海の事を業とす故、迎給んとて琴鼓笛の音を起して海辺に船を浮へたまふ。時に磯良海底より浮み出て船に至る。命のまにまに潮の満涸の瓊の法を授る乃皇后宝珠を得たまひて大に軍船を調へ、三韓を征伐したまふて穴明の沖都嘉利島に凱旋居し、豊浦宮に斎の宮を建て、天神地祇を祭給ふ。また山田邑に三筒男神の荒魂を祭給ふ(穴門住吉荒魂神社是なり)。
速戸に比売大神及阿曇磯良神外三柱の神を祭給ふ(和布刈神社速戸大神是なり)。又阿曇磯良神の捧げ給ふ満涸の瓊は、皇后の聖慮を以て和布刈の北海上一理余にある奥津島辺津島(今の満珠干珠)に納めさせられ猶当社にも満涸の瓊の表相あり古より伝へり、今は金銀白銀にて包秘封して猥りに拝観不許、毎歳十二月晦日及夜海中に和布を刈り元朝の神供として奉る。是阿曇磯良神海底に入潮涸瓊潮満瓊の法を息長足姫尊に授けし遺風なり、是和布刈神社の古く伝る由縁なりと以後西門鎮護の神とせられ、歴代の将軍領主等の尊崇厚かrちき。和布刈神事は何れの御代より始りたりと云ふ処分明せざれども、李部王の記に、元明天皇和銅三年豊前国速戸神主和布刈神事の和布奉朝廷云々。とありさらば是以前より行はれたる事明らかにして、其の後朝廷将軍家藩公等に献納せられたり。今も陰暦十二月晦日即ち正月元日午前三時より五時迄の間に於て毎年古式に則り此の神事を執行す。
【例祭日】 五月十四日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所、集会所、絵馬殿、手水舎、鳥居、高麗狗、社号石、燈籠
【主なる宝物】 干珠、満珠、古文書、蟇股、禁札、棟札
【境内坪数】 四百八十坪
【氏子区域及戸数】 門司市一、一万九千戸(崇敬者)
【境内神社】 稲荷社、恵美須社
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公開日  2024/03/31
更新日  2024/03/31
参詣道鳥居
参詣道鳥居扁額
社号碑
手水舎
境内風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
由緒書き
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿全景
本殿
社殿全景
社殿背景
社殿全景
海中燈籠
本殿前鳥居
境内案内板
境内神社、早鞆稲荷
猿田彦大神
早鞆稲荷
関門トンネル人道入口前鳥居
神社遠景
   
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