[0447] 現人神社(あらひとじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ | 0447 |
神社名 | 現人神社(あらひとじんじゃ) |
神社別名 | |
参拝日 | 2012/06/11 |
再訪日 | 2013/06/06 |
社格 | 郷社 |
その他社格 | |
ご祭神 | 底筒男命、中筒男命、表筒男命 |
由緒等 |
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ご朱印 | |
鎮座地区 | 那珂川市 |
郵便番号 | 811-1253 |
所在地 | 那珂川市仲3丁目6-20 |
地図座標 | 33.506392,130.424723 |
公式HP | https://arahito.com/ |
福岡県神社誌 |
【社名】 現人神社 [A00-0504]
【所在地】 筑紫郡安徳村大字仲字村
【祭神】 表筒男命、中筒男命、底筒男命
【由緒】 明治五年十一月三日郷社と定めらる。住吉神の生化し給ふ橘の小戸にして住吉の本初たり神功皇后の軍船を導き玉ひしより現人と称し玉ふ由、神功皇后三韓征伐の折初め神田を此辺より開き始め隣村山田の一の堰又は神堰とも言ひ伝ふ掛り水所謂裂田溝を通し又村々に地禄神社即ち埴安神を祭り給ふこと此那珂郡限りて多し元社領も若干有りしに天正十四年の兵災に罹り悉く烏有となる古来岩戸郷の産神にて岩戸庄二十三ヶ村の総社たり昔より近時に至るまで異変なしといへども明治二十二年市町村制施行の際に十二ヶ村合併し之を二分し安徳村岩戸村とす、以後二村にて祭祀修繕を負担し社司一名社掌一名を置き陰暦九月十九日を(現在十月十九日)秋季大例祭とし神楽流鏑馬相撲等を挙行す陰暦四月初干(現在五月)を祭日とす寿永の比は官幣も奉られしなり。
原田岩門少卿大蔵種資か岩門に館を建てしより氏神とし神領数多寄附し祭礼は原田家より挙行せしなり、原田種直鎌倉に捕はれ其後怡土郡に転移せしか当時の地領氏子にて維持し岩屋城主高橋主膳正鑑種入道紹運まては旧によりて神事等かはる事なかりき、天正十四年七月岩屋城陥り紹運自殺の時に当社も兵燹にかかり神官佐伯刑部始め戦死す、形部の孤子松千代氏子等に救助せられ家名を継き又神告により社も旧地に再建す、其後黒田公の宰臣黒田靱負重実か那珂全郡を総轄し殊に岩門の地頭たりしより社殿を修理し社領を寄附し石鳥居をも建るに其工費を助勢す、黒田継高公来度々病気平癒並に五穀豊穣の祈願あり。 【神饌幣帛料供進指定】 大正九年二年二月十二日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、渡殿、社務所、手水舎、絵馬殿、透屏
【境内坪数】 六百四十五坪
【氏子区域及戸数】 下梶原、安徳、東、仲村、五郎丸、今光、松木、中原、西、後野、道善、谷口 四百五十戸
【境内神社】 神武天皇社(神武天皇)、薬祖神社(少名彦命)、六一神社(不詳)、菅原神社(菅原道真)、田神社(埴安彦命、埴安姫命)、地禄神社(埴安姫命)
【摂社】 風早神社、裂田神社(級長津彦命息長足姫命)
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公開日 | 2012/10/28 |
更新日 | 2013/06/09 |
その他の写真
神社入口正面 |
神社入口鳥居 |
入口鳥居扁額 |
現人神社の鳥居説明板 |
参道 |
手水舎 |
由緒書き |
注連掛石 |
注連掛石 |
社殿正面 |
社殿正面 |
古札納め処 |
御神水 |
社殿全景 |
境内神社、左から薬祖神社、六一神社 |
境内神社、地禄神社 |
本殿 |
社務所 |
境内風景 |
第78番札所 |
神社風景 |
神社全景 |