【社名】 八幡宮 [A00-0313]
【所在地】 鞍手郡山口村大字山口字山下
【祭神】 応神天皇、武内宿禰、神功皇后、大直日神、素盞嗚命、倉稲魂神、菅原神、保食神、大歳神、高丘見神、倉丘見神
【由緒】 宗像神社末社記に山口若宮社同祭礼次第記に若宮社の神事九月九日地神の事なり、明治五年十一月三日村社に被定。
祭神大直日神は字片山に疫神社、素盞嗚命は字遠園及字岡田に須賀神社として倉稲魂神は字五反田に稲荷神社として菅原神は字野中に天満宮として保食神大歳神は字大年に大歳神社として祭祀ありしを大正四年一月二十日許可を受け合祀、祭神高丘見神倉丘見神は同村同大字字里無格社貴船神社として祭祀ありしを大正五年四月二十四日許可の上合祀。
社説に曰く、昔神功皇后異国退治の時此村を幸行ましましける折柄此処にて休ませ給ひ、夫より見坂越に赴き給ひ、遥に海原をながめさせ給ふ。其の後延喜二年九月九日始めて小方隼人と云へる者、皇后の行幸の例に任せ八幡宮を建立す、今の宮所是なり。詳細なることは宗像神社の末社記にあり、又筑前早鑑及筑前国続風土記拾遺附録に見えたり。年中数度の祭事あり、元文四己未年九月九日神殿造営の棟札あり、時の神主小方頼母正藤原光範代なり。其の頃より神幸湯立神楽等ありて三十三人の宮座祭あり、今日迄例祭日に執行す三座共に本膳一式の神饌を供する例なり。昔より若八幡宮と申けるを正徳二年大宮司小方丹波守光次の代鳥井神名額に八幡宮と記したるに付其後村人は八幡宮と申し奉る。当村を山口郷又は奥宗像とも申し奥宗像郷の産神にして大社なり武運の神として御神徳顕著なり。
【例祭日】 十月十七日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 神殿、渡殿、幣殿、拝殿、社務所
【主なる宝物】 御神鏡 三面
【境内坪数】 七百坪
【氏子区域及戸数】 鞍手郡山口村字山口区 戸数二百四十戸
【境内神社】 金毘羅神社(崇徳天皇)
【摂社】 神武神社(神武天皇)
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