[1384] 天照神社(あまてらすじんじゃ)
神社№  1384
神社名  天照神社(あまてらすじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2018/10/13
再訪日   
社格   県社
その他社格 
ご祭神  天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、八幡大神、春日大神、応神天皇、天児屋根命
由緒等  
天照神社(天照宮)

所在地 福岡県鞍手郡宮田町大字磯光字儀長
祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、八幡大神、春日大神、応神天皇、天児屋根命

犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する天照神社は、古代から中世に栄えた粥田荘の惣社として古くから人々の信仰を集めた神社として知られています。
天照神社の由来は、貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、饒速日尊が垂仁天皇十六年に宮田町の南に聳える笠置山頂(四二五メートル)に降臨し、同七十七年に笠置山頂に奉祀したことに始まります。その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、延慶元年(一三〇八)年に、白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、西国探題惣政所玄朝の造営により、現在地に移されました。
例祭のうち、四月の春季大祭は、往時の百手祭にちなんで五穀豊穣を願い、七月に行われる夏祓祭(御獅子様)、祗園祭、夏越祭(輪越祭)は、疫病から人々を守り、豊作の平穏無事のため悪霊を祓うものです。また十二月三日の恵比須祭も大変な賑わいをみせます。
隔年で行われる御神幸祭では、鶴田の日吉神社まで優雅な高張提灯行列があり、厳粛な祭の中に幻想的世界をみることができます。
境内には、古墳の枕付石棺を転用したと言われる梵字板碑(不動石)や貝島大之浦炭鉱の山神社を合祀した大之浦神社があるほか、一八六一年(萬延二年)現在の遠賀鞍手両郡の石炭経営者に当たる、遠賀鞍手両郡御仕組焚石山元が奉納した石燈など、石炭採掘草創期の活気と賑わいを彷彿とさせてくれます。

平成八年三月
天照宮氏子会
宮田町教育委員会
ご朱印   
鎮座地区 宮若市
郵便番号 823-0004
所在地  宮若市磯光266
地図座標 33.724416,130.685475
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 天照神社 [A00-0264]
【所在地】 鞍手郡宮田町大字磯光字儀長
【祭神】 天照国照彦天火明玉饒速日尊、八幡大神、春日大神、應神天皇、天児屋根命
【由緒】 垂仁天皇十六年当郡宮田村笠城山に降臨長屋山筒男に神勅有て笠城山の麓三井か淵に大いなる鮧住てしばしば人を食ひしを、殺さしめ玉ふ鮧の背に鞍を掛けたる如くなる所有し故に淵の名を鞍掛の淵と言ふ其の時大神の授け玉ひし剱にて伐る其の血を洗ひし時川の色赤くなる故に其の所を血色の淵と言ふ磯光本城の間に有り、同帝七十七年戊申の春笠城山の嶺に神殿を造る鄕民鞍手々と言ひしを一郡の惣名となれり又稲の初穗を麓の谷に掛て大神に奉る故に其の谷を穗掛谷と言ふ十九代允恭天皇の時社野火にかかる又高山に老幼の輩登る事なやみ有とて麓の穗掛谷に宮所を移す其の時数千の石を集めて其の上に神殿を建しかば後世其の所を千石原と言ふその後天長五年の冬明野の里に宮殿を建て移し奉る今の脇野是なり、又三代実録に陽成天皇元慶元年十二月十五日筑前国正六位上天照神に従五位を授け玉ふと有は当社他其の後九十五代花園天皇延慶元年或る人の夢に大神告て曰く白き鶴の住む所に廟を移すべき由示し玉ふ然るに今の鶴田の里に白鶴雌雄二羽来る依て明野より移転す鶴田村と名づく宮造は西国の探題惣政所玄朝建立と棟札あり社田壱町五反寄附有しに足利の世に没収せらる今は村内に古神田と言ふ字残れり延宝八年直方の領主黒田伊勢守長清旧廟を造営す。
明治五年十一月三日村社に被定。昭和十一年四月十一日県社に列せらる。
尚社説に述ぶる所次の如し
垂仁天皇七十七年戊申の春、鎮西の霊峯笠木の山嶺に饒速日命を奉祀せるに創る。
当社が饒速日命を祭祀して天照神又は天照大神と奉称せるは旧事本紀の故実を体し神威の宏大無辺なるを敬仰せるに依る所なりと伝ふ。
庶民当社を天照宮と敬称し崇敬殊に篤く地方信仰の中枢たり畏くも朝廷御尊崇の史実を初め歴代地方武門武将藩公領主等の尊敬篤く、地方称なる大社として祠官又三十余家に及びて祭儀の荘厳今も尚昔日を偲ぶもの多かりしと雖も、足利の乱世に及びて地方戦乱の災に依りて神領神田を初め神宝什器古文書等の多くを奪取亡失せらるるに及び、祠官又累代の主座長屋家を残して地方に離散せりと伝ふ。
年毎の稲の初穂を捧げて山嶺の神に斎きしと伝ふる穗掛谷を始め、沖殿、浮殿、神田等往時を語る遺跡の地名今も多く残れり。
所載の史実並ぶ社記等に依りて按ずるに、三代実録に陽成天皇元慶元年十二月十五日辛巳、授筑前国正六位上天照神従五位下。とあり是れ当社への畏き御尊崇の儀にして、又大日本史に
天照神社今在鞍手郡磯光村元慶元年自正六位上進従五位下
と所載せられ、又筑前続風土記同拾遺を初め筑陽記筑前早鑑太宰宰営内誌等の地方文献に詳なり。
後二條天皇徳治三年戊申三月、西国探題惣政所玄朝社殿を造営し神宝を寄進す。後足利執政の代に到り粥田庄領の制定まるや、当社を庄領の惣廟と定め、庄内惣祀の守護神と斎き社殿の修覆祭祀の厳修を期せしめたりと謂ふ。後黒田氏の入国以来藩公領主の崇敬又篤く元禄八年直方領主黒田長清公社殿悉くを造営し、又貝原篤信に命じて当社縁起を起草せしめられたるを初め筑前国主松平備前守黒田斎清公に渉りて社殿の造営修覆黒木鳥居祭器神宝遷宮料初穗料等の奉献累代に及ぶ又隔年恒例の神幸式を初め年中重要の祭儀には、特に警固の為藩士公史を遣はして其の壮重を期せしめられ、又藩公領主の社参等数十度に及びて其の崇敬殊に篤かりき。又郡奉行其他歴代の公種諸国体よりの祈願奉賽等により奉献せられたる刀剣祭器神宝絵馬等数多く、地方庶民の信仰篤きを偲ぶに足るもの亦多し。当社所蔵古文書、古記録神宝等の内由緒資料としての主なるもの
延宝宝暦正徳文化各年間に於ける奉納書四通
惣社号達書。粥田庄惣廟天照宮末社記及同上神明記各一通。
古券文徴。殿様御社参帳。御神事祭事次第。御神幸山笠格式帳。天照宮縁記。天照宮縁記附録。棟札六枚。
元録六年石鳥居。不動石。石仏。其の他宝物各種。庶民奉納物、萬延二年鞍手遠賀両郡 石山主を初め、当時唯一の輸送機関たる川舟関係者等により奉建せられたる石燈籠二基は現在筑豊炭田開発当初を語る随一の好古資料として尊重せらる。
【例祭日】 四月十一日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 本殿、弊殿、拝殿、参拝所、神饌所、祭器所、参籠殿、絵馬殿、神楽殿、神輿庫、神門、透塀、水舎、境内末社々殿、社務所
【主なる宝物】 縁起一軸、同附録一軸、古鏡一面、剣一振、短刀一振、太刀五振、檜扇一握、獅子頭一対、神輿一台
【境内坪数】 一千三百八十三坪
【氏子区域及戸数】 宮田町本城区、龍徳区、鶴田区、生見区、脇野区、千石区、磯光区、小竹町、兵丹区、直方市、尾崎区
【境内神社】 鹿島神社(鹿島神、菅原神)、諏訪神社(健御名方神、素盞嗚神)、西海九神社(底筒男神、中筒男神、表筒男神、底筒少童神、中筒少童神、表筒少童神、八十禍津日神、大直日神、神直日神、湍津姫神)
【摂社】 住吉神社(底筒男神、中筒男神、表筒男神)、疫神社(八十禍津日神)、笠城神社(饒速日尊)、穂掛神社(饒速日尊)以上二神社は当社上宮中宮として各遷御の古宮地に祭祀せられ古来より攝社として奉斎せらる
【末社】 生子神社、須賀神社、剣神社、日吉神社、男田神社、乙十神社、貴船神社
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公開日  2019/03/10
更新日  2019/03/10
神社入口風景
社号標
神池
参道風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
神橋
御池龍神岩
手水舎
鳥居
鳥居扁額
水盤
由緒書き
境内風景
由緒碑
楼門全景
楼門正面
社殿正面
社殿正面
神馬
臥牛
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
祓殿
ご神木
神楽殿
御霊宮
境内神社、左から天満神社・西海丸神社・住吉神社、不詳
境内神社、須賀神社・諏訪神社・鹿島神社・恵比須神社
奉納鶴
境内神社、大之浦神社
社号標裏面
大之浦神社正面
 
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